菌類の研究・科学

菌類と桜:春の生態系における菌根の役割

桜が満開を迎えるとき、私たちは空を見上げる。

しかし、その花を支えているものの一部は、地面の下にある。目に見えない菌類のネットワークが、桜の根に絡みつき、開花のための栄養を届けている。

春の生態系において、菌根菌と桜の関係は切り離せない。そのしくみを解説する。

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「菌根」とは何か

菌根(きんこん)とは、文字通り「菌と根の共生体」だ。

土壌中の菌類が植物の根に侵入・共生し、互いに利益を交換する。植物は光合成でつくった糖(炭水化物)を菌類に提供し、菌類は土壌中から吸収したリンや窒素などのミネラルを植物に届ける。

この共生は3億年以上前、陸上植物が初めて地に根ざした時代から続いているとされ、現在の陸上植物の約80〜90%が何らかの菌根菌と共生していると推定されている。

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桜と菌根菌の種類

一口に「菌根」といっても、いくつかの種類がある。

| 種類 | 菌類のグループ | 典型的な植物パートナー |

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| 外生菌根(EM) | 担子菌・子嚢菌(トリュフ、マツタケ等) | マツ、コナラ、ブナ |

| アーバスキュラー菌根(AM) | グロメロ菌門 | 桜(サクラ属)、バラ科全般 |

| ラン菌根 | 担子菌 | ラン科植物 |

桜(Prunus 属)はおもにアーバスキュラー菌根(AM菌根)を形成する。

外生菌根と異なり、AM菌根菌は根細胞の内部にまで侵入し、「アーバスキュル(樹枝状体)」と呼ばれる特徴的な構造をつくる。これが栄養交換の場だ。

AM菌根菌はグロメロ菌門(Glomeromycota) という菌類の一群に属し、地上にキノコを形成しない。土壌中の菌糸と胞子だけで生きている、まさに「見えない菌類」だ。

分類の注記: Glomeromycotaは従来、独立した門(phylum)として扱われてきたが、2018年以降の分子系統研究(Spatafora et al.)ではMucoromycotaの亜門(Glomeromycotina)として位置づける体系も増えている。本記事では広く使われる「Glomeromycota」表記を使用した。

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春に何が起きているか

桜が開花するのは、葉が展開する前だ。

これは植物の仕組みとして特殊な状況を意味する。葉がないということは、光合成がまだ本格化していない。桜は「貯蓄」(前年度に蓄えたデンプン・糖質)を使って花を咲かせている。

この時期、菌根菌のネットワークが重要な役割を果たすと考えられている。

春の土壌温度が上昇するにつれ、休眠していたAM菌根菌の菌糸ネットワークが活性化する。菌糸は根毛よりはるかに細く(直径2〜20μm)、土壌の微細な隙間にまで入り込める。その到達範囲は根だけでは得られない広大な土壌体積をカバーする。

この「探索能力」が、開花期の桜にとって特に価値を持つ。花をつけ、種子を結ぶためには、リン・窒素・微量元素が必要だ。葉が広がって光合成が安定するまでの春先、菌根菌のミネラル供給が木の花付きを支えていると研究者は推測している。

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地下の「見えないコスト」

菌根菌との共生は、桜にとってタダではない。

植物は菌根菌に対して、光合成でつくった炭素化合物(糖類)を「報酬」として渡す。AM菌根菌との共生では、植物が固定した炭素の10〜20%程度が菌類に提供されるという研究がある。

一本の桜が春に固定する炭素の一部は、地下で菌類を養っているわけだ。

この「炭素のコスト」は、菌根菌からのリン・窒素の提供で十分に回収される。植物だけでは吸収しにくい難溶性のリン(土壌中に多く存在するが植物が直接利用しにくい形態)を、菌根菌の酵素が分解して供給するからだ。

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都市の桜と菌根菌

日本の桜の多くは、公園・街路・河川敷に植えられた都市環境に生きている。

都市の土壌は踏み固められ、構造が失われ、有機物が乏しい。菌根菌にとっても過酷な環境だ。

近年の研究では、都市の桜ほど菌根菌との共生関係が弱くなっていることが示唆されている。菌根菌コロニー形成率(根の菌根感染率)が郊外・森林の桜より低い傾向があるという報告がある。

一方、菌根菌が健全に共生している桜は、乾燥ストレス・栄養不足に対する耐性が高いとも言われる。都市の桜の寿命延長や健康維持に、菌根菌への注目が集まっている理由の一つだ。

⚠️ 都市樹木の菌根研究はまだ発展段階。「菌根菌がいれば桜が長生きする」という因果関係は、現時点では「研究が進んでいる段階」の知見である。

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地下ネットワーク:最近の研究と限界

近年、「菌根菌が複数の木をつないで栄養を共有している(ウッドワイドウェブ)」という概念が広まった。

この研究の多くは、外生菌根菌(EM)が形成するネットワーク──針葉樹林や広葉樹林のエコシステム──を対象にしている。

桜が属するAM菌根菌のネットワークについては、研究が進んでいる段階だ。「複数の木が菌根菌を介して炭素を共有し合っている」という証拠は、AM菌根系ではEM系ほど強固ではないとする見解もある。

「地下で全ての木がつながっている」は詩的に正確だが、科学的には慎重な表現が必要だ。現実は種によって異なり、AM系とEM系では仕組みが大きく異なる。

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まとめ

  • 桜はアーバスキュラー菌根菌(AM菌根菌)と共生する。地上にキノコを出さない菌類だ
  • 開花期(葉が展開する前)の桜にとって、菌根菌のミネラル供給は特に重要と考えられている
  • 菌根菌へのコストは固定炭素の10〜20%程度。それを上回る形でリン・窒素が供給される
  • 都市の桜では菌根感染率の低下が示唆されており、健康維持との関連が研究されている
  • 「ウッドワイドウェブ」はEM系が中心の研究。AM系(桜が属するグループ)への応用は慎重な解釈が必要
  • 桜の花びらが舞い落ちる土の下で、菌類は静かに働いている。その「見えないパートナー」なしに、春の桜は咲けない。

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    参考文献

  • Smith, S.E. & Read, D.J. (2008). Mycorrhizal Symbiosis (3rd ed.). Academic Press.
  • 中村好男 (2018).「菌根の生態学」東京大学出版会.
  • 菌類学アドバイザー社内ファクトシート (2026-03-24).
  • ファクトチェック完了(菌類学Adv, 2026-03-26)

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